いつまでたっても夜明け前

エンタメとクィアについてのお話。

ドラマ『人は見た目が100パーセント』の感想と問題点の指摘

(c)フジテレビ
※本記事には若干のネタバレが含まれます。
 
 放送当時途中まで観ていたものの、推しが出ていたなんて当時は意識すらしていなかったドラマ『人は見た目が100パーセント』(フジテレビ)を観た。完全に推し目当てで観たわけだが、推しのよかったところはTwitterで存分に呟くとして、ブログでは今作全体の感想を書いていく。
 
 本作は2017年4月期放送のドラマだが、(原作漫画は2014年から3年間連載されてた)その前後に放送されているドラマには『吉祥寺だけが住みたい街ですか』(テレビ東京)や『カルテット』(TBS)、『監獄のお姫さま』(TBS)などがある。個人的にはどれも大好きな作品で、特に『監獄のお姫さま』では特殊な状況設定を使いうまくシスターフッドが描かれており、今観ても十分に楽しめる部分が多い作品だと感じる。また、『カルテット』では「家族を作ること」「家族を選び取ること」を主軸に(互いに恋愛感情は持っているものの)恋愛に発展せず「共に支え合う家族」として共生する男女4人が描かれ、何度でも観返したくなる傑作だ。
 
 また2017年には海外で「#MeeToo」運動が開始され、SNS上で女性たちが連帯する第四波フェミニズムが大きく話題を集めた時期でもある。こうして少しずつ女性たちの解放や家父長制に留まらない社会が求められ始めた流れの中で放送されたのが、本作なのだ。
 
 本作は所謂“リケジョ”で恋愛の経験がなく、おしゃれにもメイクにも無頓着な3人の女性がメインキャラクターだ。東京都西部の八王子にある研究所から、いきなり丸の内のおしゃれオフィス街勤務となり、都会でも浮かないファッション、メイクを研究していくこととなる。しかし、主人公の一目惚れから徐々に“異性にモテるためのファッション・メイク”研究へと主題が置き換わり、以降は主に「好きな人に振り向いて欲しい」「好きな人と釣り合うようになりたい」という動機へ進んでいく。
 
 また、主人公たちが新しく勤務することとなるのは人気の化粧品開発を行う会社であり、周りは“異性からのモテを意識した女性”や“ファッションやメイクに興味がある女性”ばかりだ。さらに社長も女性であり、周りに厳しくおしゃれに対しても厳しい。序盤から主人公たちに「そんな格好で歩くのは会社のイメージを落とす」「そんな人たちに仕事はさせない」と言及し、本当に仕事をさせていない。(厳密に言えば主人公たちは毎日なにか仕事をしているが、主体的に仕事をさせてもらっているわけではない。)他にも、部下に対して当たりがきつく、右腕のような立場の部下に無理難題を押し付けるシーンも描かれる。(のちに「あなたならできると思ったから言った」と語るシーンがあるが、そういう問題ではない。)これらは明らかなハラスメント行為であり、2017年といえど許される描写ではない。
 
 本作を最初に観た印象は「アメリカ映画『プラダを着た悪魔』みたいだな」だったが、同作が公開されたのは2006年である上、そもそも主人公はモテのためにファッションセンスを身につけていたわけではない。本作の社長キャラクターも非常に『プラダを着た悪魔』っぽいのだが、ミランダ編集長のように私生活や人間性が深掘りされているわけではないので「なんかよく分からないが根はいい人として描きたそうだな」という印象から抜け出せずに終わってしまっている。
 
 本作は、前後に女性主体の優れた作品が放送されてはいたが、そうした流れを汲み取りきれずに制作されている印象を受けた。物語の最後では「自己肯定感に繋がるファッションやメイク」の存在に主人公たちは行き着くが、最終話の最終シーンでそれが描かれる。しかし、ここにたどり着くまでの9話と40分近くは「異性からモテること」や「女として魅力的であること」、「結婚出産を経て女を捨ててしまった女」などが描かれ続けるため、それらを払拭できるようなインパクトが最終シーンで描かれたとは思えなかった。
 
 2022年現在は、女性がファッションやメイクをすることが必ずしも異性からモテるためではないという考えが浸透している。ファッションもメイクも、自己肯定感を上げる手段や単純な楽しみ、自己表現の意味合いが強くなっている。これらはフェミニズム文脈を経た女性解放がより現代にアップデートされた概念をもとにし、加えてファッションやメイクを楽しむのがシス女性だけではないということも認知されている。こうした価値観を経て本作を観ているため、5年前に放送された作品だということを念頭に置いたとしても内容を噛み砕くのが難しい。せめてもう少し「メイクやファッションは自己肯定感を高めるための手段」というメッセージが強ければよかったと思ってしまうのだ。
 
 また成田凌演じる主人公の想い人・榊が2人の女性と同時に付き合い、「恋人とはいいところも悪いところも受け入れる関係」という自説を盾に「人は変われないから自分のことを受け入れて欲しい」と言及するシーンが最終話に登場する。榊の設定は放送当時から大きな話題となり、さらに批判の対象ともなっていた。しかし、どうやら榊には「人は変われない」と思うに至った事情がありそうだ、ということを匂わせる描写があるものの、それについては深掘りされず話が終わってしまう。「自己肯定感を上げるファッションとメイク」というオチをつけるために駆け足で榊と関係を終わらせた印象を受けてしまい、個人的には気持ちが宙ぶらりんになってしまった。
 
 本作には、主人公たちにファッションやメイクの助言を与える國木田という男性キャラクターが登場する。彼は所謂“オネエキャラ”であり、主人公たちの同僚男性を気に入っている描写があるため、“オネエのゲイキャラクター”であると受け取れる。ステレオタイプの“オネエキャラ”は日本のエンタメでいまだ目にする問題あるキャラクター像だが、今回は「ヒロイン(主人公)のゲイ友達」という存在について指摘したい。
 
 「ヒロイン(主人公)のゲイ友達」は海外作品でも多く使用されてきたステレオタイプのキャラクターだ。このキャラクター描写は強く非難されており、2022年現在ではほぼ見かけることがない。ヒロインの友人や献身的な支えとなってくれるようなゲイキャラクターは、そのほとんどが自身の私生活や人間性を作中で描かれることがなく、ヘテロ視聴者が受け入れられる範囲でのキャラクター性しか与えられないのだ。こうしたキャラクター性しか与えられないゲイキャラクターは、マジョリティに都合がいい消費のされかたしかされず大きな問題を含んでいる。今作で描かれた國木田も同じ文脈で描かれているおり、問題視した点だ。なお、『プラダを着た悪魔』にもヒロインを支えるゲイキャラクターが登場している。
 
 本作はコメディ色の強い作品なためテンポがよく、またギャグの挟み方も巧みでストレスなく観られるが、2017年当時の「女性らしさを求められる女性」や「異性からのモテを必要としない女性」たちへのエンパワーメントになりうる作品ではなく、むしろ呪縛を深める作品となっていたことは確かだろう。また、主人公たちと多く関わる男性キャラクター2人の扱いにも雑さを感じた。ただ、総合的には楽しめる点の方が多いため、どういった部分に問題があるかを知った上で観ることをおすすめしたい。